大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和44年(う)220号 判決 1970年1月26日

主文

被告人師岡満の控訴を棄却する。

原判決中、被告人金正石に関する部分を破棄する。

被告人金正石は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人徳永賢一(被告人師岡満関係)および弁護人倉重達郎(被告人金正石関係)提出の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらをここに引用する。

弁護人徳永賢一の控訴趣意第一点(事実誤認)について。

所論は要するに、被告人師岡において本件交差点に先入したものであるから、被告人金はその進行を妨げてはならないのに、被告人師岡の前面を高速度で通過しようとし、これによって本件事故は生じたものであって、出合い頭の事故と認定し被告人師岡の過失を認めた原判決は事実を誤認したものであり、この誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないというにある。

しかし、記録を精査しても、被告人師岡の車が被告人金の車より先に本件交差点に進入したと認めるに足る証拠はなく、原判決挙示の証拠その他の関係証拠を総合すれば、衝突地点が交差点の各外線から等距離にあって、両車が交差点内を進行した距離は概ね同じぐらいと認められること、被告人師岡の車の速度は毎時二五キロメートル被告人金の車の速度は約三〇キロメートルであったこと、および各車の衝突の痕跡からみて被告人師岡の車が被告人金の車の前側部に衝突したものと認められることに徴すると、むしろ被告人金の車がやや早く本件交差点に進入したのではないかと推認される。仮に、被告人師岡の車が若干早く交差点に進入したとしても、後記認定のとおり被告人金の進行していた道路の幅員は、被告人師岡の進行していた道路の幅員より明らかに広いと認められ、同被告人は狭い道路から広い道路と交差し、且つ見とおしのきかない交差点に進入するのであるから、時速八ないし一〇キロメートルまでに減速して徐行すべき義務があり、殊に広い道路から同交差点に入ろうとする被告人金の車のあることは、その光芒により認知し得たのであるから、同車両の進行を妨げてはならなかったものというべきである。したがって、被告人師岡は交差点に先入すべきでなく、また前記徐行状態に移っておれば先入する筈はなかったものと認められ、同被告人が右交差点に先入したとすれば、そのこと自体すでに過失に基づく行為たること明らかである。

そうすると、所論の前提たる交差点先入の事実は認められず、仮に若干先入していたとしても、過失行為たることに変りはないので論旨は理由がない。

同弁護人の控訴趣意第二点(量刑不当)について。

しかし、本件記録に現われている被告人師岡の年齢、経歴及び境遇並びに本件過失の性質、態様及び結果等にかんがみるときは、原判決の同被告人に対する科刑は相当というべきであって、これを不当とする事由をみつけることができない。論旨は理由がない。

そこで、刑事訴訟法第三九六条に則り被告人師岡満の本件控訴を棄却する。

弁護人倉重達郎の控訴趣意第一点及び第三点(法令の解釈、適用の誤)について。

所論は要するに、本件交差点が交通整理の行なわれていない左右の見とおしのきかないところで、被告人金運転の普通乗用車の進行していた道路の幅員は一〇・五メートルであるのに対し被告人師岡の進行していた道路の幅員は、七・二メートルであって、被告人金の進行道路の幅員が明らかに広いのであるから、同被告人はいわゆる優先通行権があって徐行義務はない。このことは、同被告人が師岡被告人の車の進行して来ることを前照灯により認識していたとしても別異に解すべきいわれはない。これに反し、被告人師岡においては、本件交差点において徐行し、更には一旦停止して被告人金に進路を譲る等の法令上の義務があるのにこれを怠ったもので、本件事故は被告人師岡のみの一方的過失に基因するものである。しかるに、原判決は前記三・三メートルの道路幅員の差を以てしては、被告人金の進行していた道路が、いまだ道路交通法第三六条第二項に規定する「明らかに広い道路」にあたらないと認めるのが相当であって、同被告人に減速避譲の義務があるとし、仮にこれに該当するとしても、被告人師岡がこれを無視して進行していたことを、被告人金において認識し得たのであるから、被告人師岡に停止又は徐行義務違反があることをもって、被告人金の徐行義務が免除されるものではないとし、該徐行義務を是認しているが、右は法令の解釈適用を誤ったものというべきであり、この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、破棄を免れないというにある。

よって検討するに、原判決が本件交差点は交通整理が行なわれてなく、左右の見とおし困難なところであり、被告人金進行の道路の幅員が被告人師岡進行の道路の幅員より約三メートル広いことを認定しながら、明らかに広いとはいえないとし、且つ被告人金は被告人師岡の車が右交差点に向って来ていることを、その前照灯の光芒によって認識する限り、これに対し適切な避譲措置を執り得る程度に減速する義務があるとし、被告人金に対し該注意義務違反を認定していることは所論のとおりである。しかして、道路交通法第四二条は、交通整理の行なわれておらず、かつ左右の見とおしのきかない交差点における車両等につき徐行義務を規定しているが、他面、同法第三六条第二項は車両等が交通整理の行なわれていない交差点に入ろうとする場合において、その通行している道路の幅員よりもこれと交差する道路の幅員が明らかに広いものであるときは徐行しなければならないと規定しているので、幅員の明らかに広い道路を通行する車両等がいわゆる優先通行権を有することになり、同法第四二条に規定する徐行義務を免除されることになる。しかし、右にいわゆる「明らかに広い」というのは、単に両道路の幅員を検尺して得た算数上の広狭の差のみによって決定されるものではなく、両道路の実際の状況につき、現実的な観察により決定さるべきであり、少くとも運転者が交差点に進入する際に、徐行状態になるため制動を施すべき進入直前の地点において、進行道路と交差道路の幅員を対比した場合、広狭の判別が一見可能でなければならないものと解される。

そこで、本件記録および当審における事実取り調べの結果を参酌して、右の「明らかに広い」か否かを検討するに、本件交差点は道路沿いに人家が建て込み、左右の見とおしのきかない十字形交差点であること、被告人金進行の道路は東方稲築方面から西方昭和通に至る直線道路であり、被告人師岡進行の道路は、菰田方面から旭町に至る直線道路で、それぞれ前方の見とおしの良好な歩車道の区別のないアスファルト舗装道路であること、被告人金進行の道路の交差点東側までの幅員は一〇・五メートル、西側より西方は九・九メートル、被告人師岡進行の道路の交差点南側までの幅員は七・二メートル、北側より北方は六・七五メートルであること、したがって被告人金が進行せる道路と被告人師岡の進行せる道路は、幅員において三・三メートルの差があること、本件交差点の南東隅以外はそれぞれ切り落し個所があり、北西隅と南西隅の切り落しは各三・五メートル、北東隅のそれは四・六五メートルであること、右各道路における車両の制限速度は、いずれも時速四〇キロメートルと指定されていることが認められる。

右の如き関係状況からみると、被告人金の進行せる道路の幅員は被告人師岡の進行せる道路の幅員より計数上約三・三メートル広く後者の幅員は前者の約三分の二にすぎないことが認められる。これを現地において見ると、被告人師岡は進行道路の左側から被告人金の進行道路を右方に見ることになり且つ交差点の北東隅が切り落されて一段と広くなっていることと相俟ち、該道路の幅員が自己の進行道路より広いことが、徐行のために制動すべき位置においても、たやすく判別できる状況にあることが認められる。

他面、被告人金は進行道路の左側から被告人師岡の進行道路を左方に見ることになり、且つ南東隅が直角状態であって、交差点の相当近くに至るまで幅員の広狭を見別けることが困難なようである。しかし、本件交差点は十字路であり、被告人師岡の通行道路は交差点を越え、真直ぐに旭町に通じている関係で、被告人金の進行道路から右側にあたる旭町に至る道路の幅員、つまり被告人師岡の進行道路の延長たる交差点を越えた部分の幅員の広狭は極めて容易に見ることができ、この幅員から被告人師岡の進行道路の幅員も直観的に推知し得ることが認められる。しかして、右の幅員の推知は徐行のために制動すべき仮定位置においても可能であって、一見して自己の進行道路が左右の交差道路より広いことを認知し得る関係にあることが認められる。

そうしてみれば、被告人金の進行道路は被告人師岡の進行道路より幅員が「明らかに広い」道路というべきであって、これを否定した原判決の認定は誤りというの外なく、且つ被告人金に対して優先通行を是認しなかったのは右の誤認に基づくものであり、同被告人の通行が優先する限り、狭い道路から近接する車両の光芒を認めたとしても、これのみを以て同被告人に減速避譲の義務を課すべき根拠となすことはできない。

次に、原判決は被告人金の進行してきた道路の幅員が、「明らかに広い」としても、被告人師岡において、これを無視して停止又は徐行しないまま交差点に向って進行中であることは、その前照灯の光芒により認識し得たものであるから、被告人金は徐行義務を免れない旨予備的に判示するけれども、関係証拠によれば、被告人金は本件交差点東側二〇数メートル手前で、被告人師岡の車の光芒を認め、同車が本件交差点に向って進行して来るのを認知し得たというだけであって、右交差点を徐行しないまま被告人の車を無視して通過するものと速断したという証拠はなく、かえって、原判決も認定するとおり、被告人金の車と被告人師岡の車が殆ど出会い頭に本件交差点において衝突したことに徴すると、被告人金において、被告人師岡が徐行義務等に違反して本件交差点に無謀に進入してくるとは考えなかったものと認めるのが相当である。してみれば、原判決はこの点においても明らかに前提事実を誤認し、被告人金に対し過失の構成を誤ったものといわなければならない。

以上によれば、本件事故は、もっぱら被告人師岡が徐行義務に違反したことに基因するものであるのに、被告人金に対し減速避譲又は徐行すべきことを要求し、これが懈怠ありとして過失の競合を是認したことは、注意義務についての判断を誤ったものであって、判決に影響を及ぼすこと明らかであり、同控訴趣意第二点(事実誤認)の判断を俟つまでもなく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって刑事訴訟法第三八〇条、第三九七条第一項により原判決中被告人金正石の関係部分を破棄し、同法第四〇〇条但し書により更に判決する。

被告人金正石に対する公訴事実の要旨は「被告人金は自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四三年一月三日午後七時二〇分頃普通貨物自動車を運転し、交通整理の行なわれていない左右の見とおしの困難な飯塚市菰田高田理容館付近交差点に、稲築方面から差しかかり同交差点を直進しようとした際、不注意にも減速徐行せず時速約三〇粁で進行した業務上の過失により、折柄左方菰田方面から進行して来た師岡満(当二一年)運転の貨物自動車と出会い頭に衝突し、因て同人に対し加療約五日間を要する右肘打撲等の傷害を負わせた外別表記載の如く下野健一外三名に対し、それぞれ傷害を負わせたものである」というにあるが、前掲説示のような理由(同被告人につ減速避譲又は徐行すべき注意義務を肯認することができない)により、結局犯罪の成立を認めることができないから、刑事訴訟法第三三六条により被告人金に対し無罪の言渡しをする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田哲夫 裁判官 平田勝雅 高井清次)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例